2025年 令和7年 9月21日 日本各地にて、『とても楽しそうなこと』が
起こるようですね。
その『楽しそうなこと』の詳細は、このブログの趣旨に大いに反するため伏せますが、
この日に起こることを”テレビ以外の”情報網から調べてみましょう。
残念ながら、私自身は今回も参加できそうにありませんが、参加できなかった分、
それ以外で自身のやれることを精一杯、これからも続けていく所存です。
私はこの日本で生まれ、育ち、生きてきました。
もちろん、死するときも、この日本の土に没したいという思いがあります。
この文章を読んで思うところがあるのならば、貴方も直ちに行動するべきです。
しかし、貴方に強制することはしませんし、できる権利も持ち合わせてはいません。
故に、これだけは言わせていただきます。
「『故郷』で生き続けたい」という”思い”があるのならば、”変わるべき時”は『今』です。
※9月7日追記
最悪の展開と思われますね。
しかし、”声を上げ続ける”ことを覚えたのならば、まだ何とかなると信じたいところです。
真の敵は『無知』と『無関心』です。ほんの少しでいいので、目を向けましょう。
※9月9日追記
とりあえず、と言ったところでしょうか。
歴史を紐解いても、少なくとも『農民』を蔑ろにした国は衰退しています。
選ぶべきは、誰なのでしょうか。
そして、もっとも『財産を持った務所』。これを除くことこそ、新たな道が開くのでしょう。
毎週金曜日に集まりがあるそうです。
※9月12日追記
別の集まりでしたが、すごいことになっていますね。
8月の終わり以降の時から、日本は変わることができるのだという確信を持てました。
……しかし、あらゆることに何一つ安心ができないので、注視は必須です。
※9月21日追記
議事堂前の出来事、とても素晴らしいと思いました。
もしもこのことすらも議事堂は無視、誤情報だと発言、メディアで一切報道されないと
なったら、次こそ『日本人』は怒りで焼き尽くすことでしょう。
……まあ、どうせ”いつものように”するのでしょうがね。
あの南海トラフの予言、別の意味で的中するかもしれませんね。
『日本人』という存在の本質を、まるで理解していないのでしょうから。
※10月3日追記
いよいよ明日、ですね。
常に最悪に備えよ。おそらく民意などお構いなしの結果と思われます。
しかし、結果がどうあれ『日本人』の牙は抜け落ちてはいないので、どん底であろうとも
まだ可能性はあるでしょう。
なにせ、火種はもはや消火不能、燃料もふんだんにある。
そしてなにより、『日本』という故郷のために立ち上がる者は加速度的に増えていく。
一度導火線に火が付けば、上っ面の言葉などではもはや止めることはできないでしょう。
※10月4日追記
基本的に『神』というものを信じない私ですが、今回ばかりは心の底から神に感謝したい。
この日本は、まだまだ神に見放されてはいなかったということを。
しかし今の時点では、まだ『分岐点』をわずかに進んだというだけの事。
一歩横にはまだ、失われた30年、いや、”奪われ続けた80年”が横たわっているのです。
日本が真の『神なる国』となるためには、日本人のひとりひとりの手で、この国を
未来へと進めていかなくてはならないでしょう。
しかし、今は一昔前とは違います。
『戦う』という選択を取れるようになった『日本人』ならば、きっとできるはずです。
これまでで、この一月ほど”今を『生きて』いる”という実感を覚えたことはなかった。
明日が、未来がより素晴らしくなるということを信じて、祝杯をあげよう。
※10月14日追記
今月21日に、すべてが決まると言っても過言ではありませんね。
これからの日本の未来、その末代までの運命そのものが。
民衆は微力ではあっても、決して無力ではないということはすでに証明されました。
だからこそ、民衆は決まってからの『その後』をどう動かしていくか、それを今から
考え、先立った行動を行う必要があるでしょう。
何が正しく、何が正しくないか。
日本人のひとりひとりが、あらゆる情報から”自身の思考”によって『答え』を
見出さなくてはなりません。これからも、いつまでも。
※10月21日追記
これで日本は変わる、いや、『生まれ変われる』という可能性が跳ね上がりましたね。
処するべき問題はすでにこの世の頂よりも高く積み上がってしまっていますが、
目覚めた『日本人』が意思を一つとすることにより、きっと乗り越えることが
できるはずだと信じています。
ほんの数か月前まで、自身が”未来を信じる”ことに懐疑的だったとは思えない。
これが所謂、『目が開く』ということなのでしょう。
問題が解決できるまで何年かかるかは予想もできませんが、未来に微かな希望が
見えているということは疑いようがありません。
『現実』無くして、どうして”幻想”を楽しめましょうか?
微かな希望を現実のものとするためにも、我々が今、この瞬間を死に物狂いで
変えていかなくてはならないでしょう。
それこそがこの国の、『日本の未来』を創っていくということなのですから。
『2025年10月21日』、願わくばこの時が、遥か未来の歴史に、”日本が『再誕』した日”と
綴られることを祈って。

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